生きるちから と 歌語り


 

 永照寺住職 吉田永正 VS 山本晴美

生きるちからと
歌語り


 

 永照寺住職 吉田永正 VS 山本晴美 

晴美  永照寺住職である吉田永正上人には「医療法人どちペインクリニック」のホスピス祭りに、私がゲストで招かれた時に出会いました。ホスピスとお坊さんと祭り!?この不思議な組み合わせの内情は知らなくも、意図するエネルギーが会場に満たされていく事を感じました。あれから、先生とお話しするたびに、その言葉の端々に決まりのない角度から物事を見つめる表現をされていて、お坊さまでありながらアーティストと話をしてるような気持ちになります。実際に書もかかれるし、絵も描かれるのですが、吉田先生には名言や迷言(!?)がひときわ多く、その言葉と行動にひそむ「生きるちから」をおききしたいと思います。
 

 
晴美  私にとって先生は、行動する人、小さな思いでも大切にして実現に導く実践者です。お寺から社会へ発信する行動力のストレートさとダイナミックさは圧巻です…お人柄も(笑)吉田永正流。社会との関わりとはいかがなものでしょうか?
 
吉田  自分自身が“ガン”と出逢って生き方考え方がすべて変わりました。永遠のいのちと限定された娑婆のいのちの両面を理解できれば生き方は変わってきます。いのちそのものが支えあって生きているのだから さて 自分は自分以外のいのちのために何ができるんだろうかと考えた時 自分の専門的なことで社会貢献を考えて実践していくことが大切です。特に終末医療では”患者のいのちに寄り添う医療”を玉穂のどちペインクリニックから学びました。これは医療だけではありません。幼稚園でいえば子どもの心に寄り添う幼児教育!行政でいえば市民に寄り添うお役所!お寺でいえば一般の人のためになる坊主と社会のためになるお寺!医療と宗教がきちんと連携すれば 一般の人の心が安らかになると、玉穂ふれあい診療所の土地先生に教えられました。だから診療所のお祭りのテーマは「輝けいのち!」
 

 
晴美  先生は全て実践されているので言葉にパワーがあります。 私は「ボランティア」を「してあげる」という解釈に出合うことがあり、妙な心地悪さを感じます。誰かのために自分の行動が活かされ、本当に必要とされるものを受け取っていただくと、日々の目覚めが良い…こんなスタンスが心地よいです。先生は「ボランティア」をどのように受け止めていらっしゃいますか? 
 
吉田  自分以外のいのちに支えられて自分のいのちの営みがあると考えれば ボランティアはごく自然に! 人(他人)が喜ぶこと 人のためになること その実践は自分探しだと思うんです。学校でボランティアを“点数”や“回数”で表記して評価しているところがあるけれど“ボランティアの心”がわかっていない証拠? 自分のいのちの内なる躍動感と目の前のアクシデントに対する人間的情熱の融合されたものがボランティア活動でしょうか。
 
 

 
晴美  「自分探し」に共感します。特に子どもはボランティアで社会との関わりを持つことでコミュニケーション力や思いやりを学ぶことができるのだから、何かの評価にして欲しくないですね。
 
 

いのちには自分が思っている以上の角度がある … 吉田永正

 
 
晴美  社会が進化することで生きにくさを感じる人が多くなった時代に、先生は様々なスタイルで子どもにもおとなにも「いのちの教育」を実践されていますが、先生の考える「生きるちから」とはなんでしょうか。
 
 

 
吉田  幼稚園では「いのちの教育」を掲げています。これは “いのちの躍動感”の追求です。ミカンの葉っぱに産み付けられたチョウの卵は2週間で小さな青虫に。みかんの葉を食べて大きくなった青虫は天敵などからいのちを守ってサナギに。2週間眠るといよいよ成虫チョウになって大空へ…。 この大自然の躍動感とともに感性を大切にしながら表現の世界へと保育を展開していきます。青少年のサークル「チルチルとミチルの会」の活動ではみんなで楽しむこと自己判断 自己決定をして 自己責任を持つことを主眼として活動しています。いのちの素晴らしさを発見したり美しさや面白さ 時には厳しさやせつなさにも出会います。そのエネルギッシュなものがいのちの躍動感であり 生きる力となっていきます。そしてそのいのちが他のいのちの輝きに繋がって ともに輝くことを 何時も念願にしています。
 
 

病気になる前は、もっと品があっておとなしかった … 吉田永正

 
 
晴美  先生が大きな病気をされてから、ご自分が変わられた想いをお話ししてくださった時に、おっしゃった言葉です。冗談のように話されましたが深いです。私は、品性は静寂の中にあるのではなく「動」の中にあってこそ本物だと感じているのでニヤリとしました。覚悟のある生き方に備わる品格は人を動かす大きなちからを持つ…だから先生の周りには先生を慕う人がいつもたくさんいらっしゃるんだと思いました。
 

 
吉田 今でも品はありますが(笑) 病気を抱えるようになって感じた事は まず 娑婆のいのちには限定があり時間が限られているという事。 理屈や品を問い合わせしている暇がないという事。“今を精いっぱいに生きる”ことを考えれば 即実行! のど渇いたら即水! そして次に井戸を掘ることを教えればいい。実践あるのみ! 何しろ行動が先! 理屈や説明は後から考えれば結構いいものが出てきます。どっちが先かは当然決まっています。 夜一服のお茶を飲む時 今日の活動に 今日の人との出逢いに満足して眠りに着けば 最高の極楽。 極楽は自分の行動によってつくられるものだと信じています。 
 
 

 

ひとりが守れる平和に形があるとしたら、 両手で守れるくらいの小さな灯(ともしび) … 山本晴美

 
晴美  先生には歌語りの3つのプログラムを主催していただきました。おかげさまで今年は、活動の目標である世界共通の平和学習プログラムを一緒に考えてくれる仲間が、米国にできました。歌語りは、戦争の犠牲となり大人になれなかった子どもたちへの鎮魂歌です。正義を振りかざしたり、戦争の憎しみを伝えるのではなく、限りある「いのち」をどう生きて活かすかの希求です。戦争の犠牲となった彼らからのメッセージがあるとしたら「いのちの尊さ」そして戦争を作り出した「人間の傲慢さ」。1945年から学ぶ「生きるちから」はたくさんあります。 私はお経を唱えることができないから歌います。だから歌は私の祈りです。
 

 
吉田  『万歳峠』は教育を語る会で『広島〜すずめ〜』はTANAKA CHIAKI &実行委員会で取り組み 今回含めて3部作全部やらせていただいて 平和を求めるいのちの躍動感の入り口を探せたような気がします。音楽は万国万民共通の表現! 歌と言葉は文化人類史の中でどっちが先? といえばもちろん「歌」なんです。だから人間の心がここまで進化してきたんでしょう。“歌語り” かなり最高! 素直に 安心して生活できる生きる喜びや価値の原点が“平和”! この作品を大勢の方と一緒に共有して共感していきたいという大きな願いです。
 

 
晴美  ありがとうございました。 私の「生きる力」は感動から生まれ、課題を持って生きることで、そこにつながる出逢いが続いてきました。今、世界を視野に新しいプロジェクトが始まり、米国でも同じ志を持ち、私をサポートしてくれるチームを得たことで、世界に起こっていることを学びたいと思う気持ちは自然と深まりました。ひとりが守れる平和に形があるとしたら、両手で守れるくらいの小さな灯火。でも仲間がいることで、世界を変える重い扉も開くかもしれない。 今に授かった命を生かせる毎日が心地よく平和であるように、ひとりひとりが社会に関わることで知る、本当の豊かさとは何か?を考えてほしいと思います。